悲しき目黒の桜坂「かむろ坂」
東京・目黒には、田園調布本町のそれよりもはるかに長い桜坂があります。その坂の名は「かむろ坂」。一年に一度一週間ほど、桜のトンネルに覆われる美しい坂道には、江戸時代の少し悲しい言い伝えが残されていました。
坂上から坂下に向かって下ってゆきます!桜並木の起点は小山台一丁目の交差点。これより坂上には桜はありません。
ちょうど満開の時期、ご覧のとおりみごとな桜のトンネルです。風が吹くたびに花が舞い散り、道路脇には散った花びらが集まってピンクの線が。
さあ坂を下ります。途中で撮った1枚ですが、こんなに桜のトンネルに厚みがあるんですね。
桐ケ谷通り交差点まで下りました。交差点がとても明るく感じます。桜のトンネルが日陰を作っているからなんですね。この写真だとよくわかります。
さらに日差しが強くなってきました 。いっそう桜の花が輝いて見えます。
道ばたに散った桜の花が集まっていました。まだ落ちて間もないのでしょう、綺麗な色で草の緑といいコントラストでした。
さらに坂を下りると、角にスーパーがある2つめの交差点が見えてきました。この角を右に曲がると不動前駅です。個人的にはこの辺のカーブがいちばんいい絵になると思いますが、お店があるせいか車がたくさん止まっているんですよね・・・
かむろ坂はこの先、山手通りとのT字路になる交差点まで続いています。終点が見えてきました。
山手通り交差点まで来ました。下りてきた道を振り返った一枚です。全長約480m、128本の桜が並ぶ坂道でした。
かむろ坂下の道路脇には禿坂にまつわる言い伝えが書かれた碑が立っています。写真では読みにくいので、こちらに掲載します。
江戸時代の延宝七年(1679)、辻斬り強盗を重ねていた元鳥取藩士平井(白井)権八が鈴ケ森刑場で処刑され、権八なじみの遊女小紫はこれを悲しんで自害した。
このとき、帰りの遅い小紫を探しにきたお付の禿が帰り道でならず者に襲われ、逃げ場を失い桐ケ谷の二ツ池に身を投げたという。
これをあわれんだ近くの人が、なきがらを池の傍らの丘に葬り、その後、この一帯の丘陵をかむろ山、これに通じるこの坂を禿坂と呼ぶようになったと伝えられている。
Location:かむろ坂
東急目黒線 不動前駅 下車2011.04.10 撮影
2011.04.21 UP